々、そのお城には優しい王さまがいて、一帯をよく治めていました。王さまは美しいお妃さまをおもらいになり、お二人はとても仲がよかったのですが、何年もお世継ぎに恵まれませんでした。そのことはお二人を悩ませ、寺院などにお参りしたり、まじないごとに頼ったりなさった時期もありました。ですが、どれも効果がなく、お二人はいつしかお子を諦めてしまいました。心配ごとから解放されたのが良かったのか、ほどなくお妃さまは懐妊し、月満ちてお子がお生まれになった時は、国をあげてのお祭りとなりました。
 国に住まう十一人の魔法使いが祝福に訪れました。そして、お妃さまの腕のなかで眠る赤ちゃんの長いまつげやバラ色の頬を褒め称え、賢さ美しさをはじめとしたさまざまな美徳を授けました。誰もが赤ちゃんの輝かしい未来を思い描きましたが、国に住まう魔法使いは全部で十三人。遅れてやってきた十二人目魔法使いは、愛らしい赤ちゃんに祝福でなく呪いを与えました。曰く『この赤子が十八になったとき、糸車に刺されて永い眠りにつくだろう』と。
 悲嘆にくれるご両親のもとに、さらに遅れてやってきた最後の魔法使いが言うことには、『私は若輩で、呪いを解くことはできないけれど、呪いの眠りを立派な騎士が解くだろう』との事でした。
 呪いが解けないのでは、最後の魔法使いの言葉など気休めでしかありません。王さまはこれを聞いて国中の糸車を燃やしてしまいました。…それなのに、十八年後呪いは回避できませんでした。
 王さまとお妃さまは失意の中で年老いて亡くなり、あとにはただ、いばらがはびこったお城が残りました。悲しい出来事から二百年後の今日まで、ひっそりと森の奥で呪いを解く騎士を待っているという…そんな風化しかけた言い伝えは、古いお城にはありがちなことでしたが。
 いばらには魔法がかかっていて、今までお城に入れた騎士はいないということですが、このいばらの城に挑む者は途切れることはありませんでした。その美しい人の呪いは、騎士のキスによって解けるということですから、挑戦する騎士たちの気持ちも分からなくはありません。そのキスは、どんなに甘美なことでしょう。

 やはり、世にも美しい人というのは、立派な騎士たちを惹きつけてやまないものだと、近隣の村の者たちは好き勝手に噂しました。


***


 の騎士はいったい何人目の挑戦者だったのでしょうか。騎士はその勇猛さをもって、近隣に名を馳せていました。明るい栗色の髪と紺碧の瞳が素敵だと娘たちに騒がれる、立派な青年でした。
 騎士はまるまる二日かけて鋭いいばらを切り払い、傷だらけになりながらもとうとう三日目の朝に錆びついた鉄扉を押し開けました。かつては壮麗だったろう城内は二百年のあいだにすっかり寂れています。騎士は逸る気持ちを抑えて、慎重に姫が眠るという塔をめざし、たどり着いた小部屋の扉をひらきました。すんなりひらいた扉のむこうには、天蓋からうす布のおろされた寝台だけがありました。騎士は寝台に近づき、うす布をそっとめくりました。
 騎士は息を呑んで眠る人を見下ろします。白い肌は瑞々しい生気に満ち、黒い髪は絹のように滑らかに寝台に広がっています。穏やかに眠るその人は、ほんの一晩の時を経ただけのように見えました。言い伝えは本当でした。騎士は厳粛な気持ちで膝をつき、言い伝え通りにその人の唇にそっとキスをしました。

 触れるだけの、けれども長いキスのあとしばらくして、その人はゆっくりと目をひらき、瞬きを繰り返してから、隣に佇む騎士を見てにっこりと微笑みました。潤む瞳は、夜から朝へと変わる空の色合いでした。騎士は天使や悪魔を信じませんが、もし天使が存在するならそれは目の前にいる人ではないでしょうか。目を奪われる騎士の前で、花びらのような唇が言葉を紡ぎます。
「ありがとう、おかげで呪いが解けました」
 おちついた声はよく通り…そして低いのでした。…そう、繰り返しますが、どう考えても低いのでした。騎士は状況が理解できないでいます。そういえば、目の前の人の胸には起伏がありません。控えめどころではなく、真っ平らです。
「姫…?」
 騎士は恐る恐る尋ねました。
「いいえ残念ながら。王子です」
 ゆっくりと身を起こしたその人は、騎士の希望的観測をあっさり踏みにじってしまいました。
 騎士の脱力感はいかほどか、推し量りようもありません。騎士の髪は心なしかしおれてしまいました。
 王子は優雅に立ち上がりました。黒く長い衣を纏った立ち姿は、そこいらの姫よりもずっとたおやかでした。
「王子より姫のほうが助かる確率は上がりますから…私は呪いで動けませんでしたから、使い魔を用いて怪しまれないように長い間をかけて、言い伝えにほんの少し手を加えたのです」
 どこからともなく飛んできた鴉が、王子の肩にとまりました。黒い衣に使い魔。なんということでしょうか、その人は姫でもなく、天使でもなく…王子で魔法使いでした。未だに声も出せず固まった騎士の前で、王子は話し続けます。それは二百年前にあった本当の出来事でした。
 王子は生まれながらに容姿にも頭脳にも恵まれていて、そのうえ十一人の魔法使いから美徳を与えられました。ですが王子には慈愛が備わっていず、与えられもしませんでした。遅れて来た十二人目の魔法使いは、王子の本質にたったひとり気付きましたが、誰もが王子の見かけに騙されていましたから、十二番目の魔法使いは孤独にひとり戦う決心をしました。王子を倒すには力が足りず、十八年の長い年月をかけて呪力を込めた糸車で王子を封印し、力尽きてしまったのです。
 騎士は伝説の真相を知ったのでした。死ぬほど後悔しましたが時間は戻りません。
「よくもだましてくれたものだな」
「私は言い伝えに嘘は付けたしていませんよ。真実をほんの少し隠して、結末にほんの少し私の呪いを足しただけですよ。私に贈られた美徳の中には、残念なことに正直も入っていますから」
 王子の言うとおりでした。言い伝えのどこにも、生まれた子が女の子とは出てきません。
 真実を知った今なら分かります。十二番目の魔法使いの予言は決意の表明であり、十三番目の魔法使いの予言は警告だったのです。狡猾な王子はそれを利用して、今ここに復活を果たしてしまいました。
「私としたことがかけられた呪いの強さを侮っていました。俗に英傑色に迷うと申しますが、美女の唇の誘惑をもってしても、解くまでに時間がかかりすぎてしまいました。さあ、騎士さま、これからが本番です。実は目覚めのキスに呪力をかけておきました…あなたは私から離れられません。ここは賭けでしたが、望みどおりの屈強そうな勇者さまでなによりでした。そういえば私に強運を授けたのは、何番目の魔法使いでしたでしょうかねえ」
 騎士は夢なら醒めてほしいと心から願いました。
「何をする気か知らないが、俺はお前に付き合う気はないぞ」
 騎士は先ほどのキスを記憶から強引に消し去り、足早に部屋をでようとします。が、ある程度離れると、どうしても足が動きません。
「無駄な努力は止めることです。私からは離れられませんよ。私の望みがかなうまで」
 どうにもならず諦めた騎士を待っていたように、王子は言いました。
「お前の望みはなんだ?」
「決まっているではないですか、世界征服です。汲めど尽きせぬ才能を生かすには、それしかないでしょう」
 窓から風が吹き込んで、王子の黒髪を揺らしました。風はけたけたと笑っているよう聞こえました。森の木々の隙間から顔を出した朝陽は柔らかな光で騎士を包みますが、なんの慰めにもなりません。
「さあ、騎士さま、手始めにこのあたりの国から征服しましょうか。楽しくなってまいりましたねえ…ふふふ」
 忍び笑いは、嫌味なほど王子に似合っておりました。

 うして騎士は、心ならずも王子の世界征服に助力することになってしまいました。美しい姫を助けて幸せになるはずだった騎士の明日に何が待っているのかは、美しい王子だけが知っているのでした。


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