春の西瓜

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 たまたま、外へ出ようと考えたのは数十分前のことだ。
 家の外へ一歩出ると、ねっとりとした熱い空気が全身にまとわりついた。これから季節は涼しくなっていくというのに、まだ暑苦しさが残っている。
 額から頬にかけて流れ落ちる汗を乱暴に手の甲で拭う。
 そのまま手を下に下ろすと、少し先に誰かが立っているのに気付いた。「やあ」と手を挙げて首をかしげる。このクソ暑いのにまるで春風のように爽やかな笑顔に、俺はげんなりと肩を落とした。
「なんの用だよ」
 つっけんどんな俺の口調など気にもせず、親父がスイカの入った網を掲げる。白いワイシャツに黒いスラックス姿の外人とスイカは、ちぐはぐな組み合わせだ。
「まだ仕事の時間だろ?」
 俺は腕時計を見た。母が大学の入学祝いにくれた時計の短針は5の近くにあった。
「僕の会社はフレックスだって言わなかった?今日はもう終わり。これ一緒に食べようと思ってさ」
夕暮れ時とは思えないほど力強い日光を浴びてきらめく金髪は、染めているわけではなく地毛だ。瞳は今日の空のようなブルー。ちなみに俺は純国産。こいつは母親の再婚相手。母親より年下で、新婚ホヤホヤである。
「冷えてないスイカはうまくないから、あとで食うよ。俺、出かけるとこだったし」
俺が乱暴にスイカを奪うと、それは予想に反してとても冷えている。冷たさが心地よくて、俺はついスイカを抱えた。
「スイカ抱えてどこに行くの?この暑い中」
 さっき拭ったはずなのに、また額に汗が流れるのを感じるけれど、俺はスイカを抱えた両手を放さなかった。汗は顎をつたって、俯いた俺の視界にぽつりと落ちて行った。
 どこに行こうとか、何も決めていなかった。当てどない散歩だった。この親父のことを考えていたら、なんだかがむしゃらに歩いてみたかった。
「ガッコ、行こうかと思って」
「こんな時間に?大学は夏休みでしょ?」
 親父は俺の言い訳を信じているのか、そうでないのか。分からないけれど、表面上は信じたふうに俺を覗き込む。
「夏休みも色々あるんだよ」
「その用事、急ぎ?」
「…別に」
「じゃあ、スイカ食べよう。よく冷えてるから美味しいよ、一緒に食べようよ」
 流暢な日本語は人懐こく、優しい。その柔らかさも、気遣いも、すべては母の為だろうか。そんなふうに考えてしまう自分が、たまらなく嫌だ。
「……俺に変な気使わなくてもいいから。別に結婚に反対したわけじゃない」
 嘘だった。本当は少し…いや恥ずかしながらかなり盛大に反対した、心の中で。父と母が離婚したのは俺の小さいころで、以来ずっと母子家庭だった。慣れた環境に突然入ってきた親父には、違和感がある。しかも外国人、違和感は倍増どころの騒ぎではない。苦労した母に幸せになって欲しくない一人息子がいるものか。だから俺は、母から結婚の話を聞いたとき、心の中で反対して、即座に打ち消して、素直な息子を演じてみせた。一人暮らしでよかったと思った。取り繕う演技なんて、そう長く続けられる自信なんて全然なかった。
「気を遣っているわけじゃない、一緒にスイカを食べたかっただけだよ」
 親父の澄んだ目に心を見透かされそうで、俺はつい目をそらした。
俺はこいつを親父と呼んだことはない。国が違うと色々と習慣の違いとかあるんだろうなと身構えていたのに、幸か不幸か親父はこのとおりの人間だった。付き合いは浅いがいいやつだと思っているし、嫌いにもなれない。もし大学の講師とか、バイト先の店長とかだったら、ころっと懐いていたと思う。
「無理することないよ、ゆっくり家族っぽくなればいいじゃない」
 親父が呑気に言った。勝手に俺のアパートに向かって歩き出すので、なんとなく並んで歩く。
「簡単に言うなよ」
 俺がふてくされると、親父はまた笑った。薄い色ばかりで構成されている親父のつくりだす空気は、ふわふわと軽い。やっぱり春風だ。そういえば母が『春みたいな人でね』と、最初にこいつのことを切り出したときに言っていたっけ。
「お母さんは素敵な人だよね、ずっと一緒に居たいし大事にしたい。愛しているんだ。君ともうまくやりたいと思うよ、これ本音ね」
 率直で飾りのないことをよく恥ずかしげもなく簡単に言うなあと思ったが、俺は何も言えなかった。手の中のスイカの冷たさが、俺のひねくれた心を癒している。
「うまくいくかもしれない、でも親父とは呼べないかもしれない」  
 俺が素直にそう伝えると、親父は「それでいいよ、僕は。名前で呼んでよ」と気軽に返してくる。
 なんだろうな、親父の言葉はさらさらと簡単に心をこじ開ける。俺はそれが嬉しいような、悔しいような、そんなよく分からない気持ちで、
「じゃあ遠慮なく。……とりあえずよろしく、ハル」
 と言ってみた。顔が火照るのは炎天下のせいじゃない。
「こちらこそ、よろしく、我が息子よ!」
 唐突に抱きしめられたものだから、弾みで腕の中からスイカが落ちて、アスファルトの上できれいに真っ二つに割れた。甘ったるい匂いが漂う。
「あほか!あちいわ!」
「いやごめん、嬉しかったからさ」
 ハルが離れる。ちょうど白い犬をつれた女の人が通りかかって、俺たちの様子を怪訝そうに見ている。恥ずかしさに汗が噴き出す。そんな俺を見て、ハルは笑顔のままだ。
「ね、夏休みなんだから、家に帰っておいで。今度は三人でスイカ食べよう」
 俺はつい、狭い実家の狭い庭に向かって三人で座る光景を思い浮かべた。なんとなく、会話は弾まない気がする。…でも、それは悪くない光景だと思ってしまった。完全にハルの思うままだな、これじゃ。でも歩きはじめたときより、ずっと気分がいい。
「…考えておく」
 そう言ったら、また抱きつかれそうになった。今度は避けた。暑苦しいっつの。

 母はこうも言ってた。
『おかしいのよ、春みたいな人で、名前もハルなの、名は体を表すのね』
 ……母さん、ハルはもしかしたら夏かも知れないよ。




「同じ書き出しでどれだけ違うストーリーを作れるか」という企画に提出した物語を、加筆訂正しております。同じ始まりから紡がれる90あまりのストーリー。

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